事故紹介ですが…?

ハンドルのLanturは、昔の愛車LANCER-EX turbo つまりは昔懐かしきランタボからですね。んで、ボは釣りではボーズなボなもんで却下して残ったのがLanturな訳です。

昭和40年代後半:釣りはいつから始めたのかも分からないくらいから。確か父親と最初で最後の釣りをしたのがきっかけだったと思う。小学校前だったから5才ぐらいだろうか?

昭和50年頃:小学校入学と同時期に近くの河川でハヤ・ハエ(ウグイ・オイカワ)を毛針で釣る楽しみを覚える。

昭和55年頃:その後、ヘラ釣りを近所の池で楽しむようになり、お流行のルアーフィッチングに移行。当時はバスなんてそうそう釣れる魚じゃなかったので、代用としてスネークヘッドを追い求めるように…
当然だが、ナマズやニゴイのルアーターゲットは全て試しての移行ではあったが、中学校頃から自転車という文明の利器を利用するようになると、全盛期の比企郡野池をグルグルと。自転車に竿をくくりつけて神流湖まで通った実に今から考えると恐ろしい時期もあったりした。

昭和60年頃:アルバイトを覚えた高校時代は、バイト代が全て竿とリール、ルアーに消費される日々を送る。が、部活に励む好青年だったので、一時期釣りは休止。

数年の後に社会人になって復活するが、相変わらずの情報知らずのマイブーマー故に、世間が空前のバスブームである事など全く知らない。

平成5年頃:趣味のパソ通のフォーラムに釣り関係がある事を発見して感激すると共に、マイナーな魚との戯れだったルアーフィッシングが、バスを釣る人間がいつの間にかバサーと呼ばれ、今をときめく一大趣味として確立されている事を知る。

平成6年:その後、FFISHにて。現たたらーの前身である関係者とオフ会にて知り合う。→その後の悪行の巣窟になろうとは…

近隣市町村だけの釣りのエリアが関東はもとより、東北や関西にまで足を伸ばすようになる。

平成12年:バスに飽きたらずに、海バス=シーバスに手を染める。全く情報のないままで、京浜の運河を徘徊…全く何も知らない割には結構釣れて満足

平成14年:ついにジギングの世界に足を踏み入れる。始めてやったイナダジギングでそれなりに魚をキャッチ。キャスティングの世界との違いに興味津々。

んで、現在に至るって感じかな。